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こぼれ話 健・和・富のルーツ

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こぼれ話

「兵隊さんや、おばあちゃんとの駆け引きのおかげで、経験が豊かになりましたね。 それが今の仕事にも活かされているんだと思います。 時には家族同士、友達同士でも、駆け引きをする必要があると言う事ですね。」

お風呂の話

私は昔、農家の長男坊でしたから、何かにつけて家を手伝えと言われたものです。学生の時は、勉強をやらなくてはいけないのに、当時は「勉強はそこそこでいいから家を手伝え!」と言われたものです(笑)

例えば、お風呂を沸かすのにしても、今は蛇口をひねれば自動的にお湯が出るけれど、我々の時代には何十倍も手間がかかっていました。

まず学校へ行く前に、風呂を沸かすための水を、日向にある大きな甕にバケツで運んで、溜めておくんですよ。井戸水はある程度冷たいですからね。

小学生だった僕は、それを早く終わらせたいから、バケツいっぱいに水を入れて運ぶわけですよ。そうすると服がビショビショになってしまいましてね。結局、服を着替えるハメになるんです。それで今度は学校から帰ってくると、甕で温めておいた水を、お風呂の桶に移し替えないといけないわけですよ。あの当時のお風呂は「五右衛門風呂」といって、僕(小学生)の頭くらいの高さがある浴槽でしたから、バケツを持ちあげては必死に作業したものです。

当然そんな作業をしていると、またまた服がビショビショになってしまうわけですよね。だから着替えなくちゃいけないんですよ。そうしたら、おばあちゃんに「何回着替えれば気が済むんだい?」と言われてしまいました(笑)
そうやって準備を終わらせたら、ようやく薪で火を起こし、お風呂を沸かすわけなんですよね。その仕事が一苦労でね、遊びに行きたくても行けなかったんですよ(笑)

飛行場の話

今でも忘れられない話がありまして、当時の甚目寺には飛行場がありまして、そこに整備兵っていう兵隊さんがいました。

当時の僕らはどうしても飛行機に乗せてもらいたかったものですから、その兵隊さんと駆け引きを始めたんですよ。兵隊さんは腹が減っているわけでしょ?だからそれを条件に利用して、飛行機に乗せてくれるようお願いしたんです。さつま芋の茹でたやつを持って行ったり、おにぎりを握って持って行ったりだとかね。今思えば、ろくに手を洗わないような子供が作ったおにぎりを、よく食べたものだなって・・・・・きっと味だってまばらだったでしょうし、美味しくなかったんじゃないかな。(笑)よくおばあちゃんに「おにぎりを持って行くなら、しっかりと握りなさい!」って怒られたものです(笑)

にわとり小屋の話

僕は、鶏小屋にある卵がどうしても食べたかったので、学校から帰ってくると一番に鶏小屋へ向かって、おばあちゃんに見つかる前に卵を全部隠してしまいました。それで何食わぬ顔をして「今日は卵、全然産んでないね」なんて言いながらごまかしたものです(笑)

ところがね、それを聞いたおばあちゃんが、イナゴを鶏に食べさせると卵を産む様になると言うものですから、それから毎日イナゴを獲りに行くことが僕の日課になってしまいましてね、手伝うことを自ら増やしてしまったんですよ(笑)

それで2袋くらいイナゴを捕って来ると、おばあちゃんが「これできっと明日は卵を産むから、お前も1個食べていいぞ」って言うわけですね。でも、当然の事ですけど、卵は全部ぼくが隠して食べてしまうから、おばあちゃんは「一向に産まないね?」と不思議がっていましたね(笑)

リヤカーの話 その1

初めて勤めた会社では、ゴムをリアカーで引いて売り歩いていました。

当時はナスやキュウリなど野菜を市で出せば売れるのに、売れもしないゴムをリアカーで引いて歩くなんて、「本当に意味があるのだろうか?」と考えたりして、つまらない仕事だなって思ったものです。 考えてみてください!「ココ(金山)から瀬戸まで、リアカーを引いて行ってこい!」と言われたんですよ、しかも昼から。昼から瀬戸まで歩いて行ったら、向こうにつく頃には夕方になってしまいますよね。歩いてですよ、瀬戸まで(笑)その当時の僕の1ヶ月の給料は5千円でしたからね、5千円。

それでもね、今思えば僕は本当に良い人生を歩んでこれたと思っています。 味のある人生というか・・・だから人生には、凄く感謝をしています。

リヤカーの話 その2

僕が当時の会社に勤めて5年が経ったころ、先輩が「リアカーでゴムを売っていても、売れない!」って嘆いていました。だから僕は「売る気になればこんなもんいくらだって売れる!」って言ったら、生意気だなって叱られたんですよ。 でも僕は、絶対に売れると言い張ったんです。そうしたら先輩は「安いとか高いとか、値段の問題がある!」と言うんですよ。確かにその点の問題があるのは事実かもしれないですけど、やり方次第だと僕は思いましてね。それにリアカーで商品を1回売り切るだけで、当時の僕の1ヶ月分の給料(5千円)になるわけですよ。 だからね、もしこれを自分の自由に、例えば月に2~3回売り切ることができれば儲かるのではないかと、これは面白そうな仕事だぞと考えたわけです。だから僕は「会社を辞めさせてくれ!」と頼みに行ったわけです。 もちろん条件として、今のお客様は会社の名前やお金を少なからず利用して築いたものですから手を出しませんと、絶対に迷惑はかけませんと約束したわけです。そのかわり、万が一新しい仕事で失敗をした時は、もう一度この会社で使ってください、その時には一生骨をうずめる覚悟で戻りますからと誓いました。

当時の会社の社長や先輩からは「若いのに何でそんなに焦る必要があるんだ?」と聞かれましたけど、結婚をしてしまったらできないことだと当時は思っていましたし、若いからこそやってみたいという思いが強かったんです。当然、責任は全部自分にかかってきますから、生半可な気持ちでやろうとしていたわけではありませんよ。ただ、何よりも挑戦するという事が面白かったんですよ。

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